バッテリーを交換してもらうために渋谷のApple Storeへ行った。作業は一時間程度で終わるという。端末を預けていったん店を出たのだが、その後の時間がよかった。行くあてはないし、そもそも時間さえわからない。けれど、ひさびさに自分が完結しているような感覚を得られた。誰かと連絡をしたり、みずから情報を発信したりせずとも、ただ外部と接するだけで消耗する何かがあるのだ。本来なら自分のなかを循環する気持ちや考え事が、端末を通して流れ出ていく。窓や扉のようなものである。近くのドトールで軽食を摂ったあと、適当に洋服を眺めただけで一時間は過ぎた。
いかにも世代らしい発想で嫌になるが、スマートフォンから離れて生活ができたらいい。インターネットは愛好しているけれど、掌に収まるべきではなかったと思っている。自宅の机に向かい、すべてを他人事と思える距離感で接したい。純粋な入力デバイスであるマウスとキーボードの間接性が好ましい。
時間は腕時計があればわかる。目的地までの経路は頭に入れておくか、複雑ならマップを印刷すればいい。支払いも、連絡も、娯楽も、その気になれば別の仕方でクリアできる。しかし実行に移さないのは、単純にいろいろ用意するのが面倒だからであり、いわゆるデジタル・ミニマリズム的な潮流に乗るような格好になるのが癪だからであると思う。個人的な原点回帰も、同時代の問題と重なれば積極的なスタンスになってしまう。
20250517 日記