バッテリーを交換してもらうために渋谷のApple Storeへ行った。作業は一時間程度で終わるという。端末を預けていったん店を出たのだが、その後の時間がよかった。行くあてはないし、そもそも時間さえわからない。けれど、ひさびさに自分が完結しているような感覚を得られた。誰かと連絡をしたり、みずから情報を発信したりせずとも、ただ外部と接するだけで消耗する何かがあるのだ。本来なら自分のなかを循環する気持ちや考え事が、端末を通して流れ出ていく。窓や扉のようなものである。近くのドトールで軽食を摂ったあと、適当に洋服を眺めただけで一時間は過ぎた。
いかにも世代らしい発想で嫌になるが、スマートフォンから離れて生活ができたらいい。インターネットは愛好しているけれど、掌に収まるべきではなかったと思っている。自宅の机に向かい、すべてを他人事と思える距離感で接したい。純粋な入力デバイスであるマウスとキーボードの間接性が好ましい。
時間は腕時計があればわかる。目的地までの経路は頭に入れておくか、複雑ならマップを印刷すればいい。支払いも、連絡も、娯楽も、その気になれば別の仕方でクリアできる。しかし実行に移さないのは、単純にいろいろ用意するのが面倒だからであり、いわゆるデジタル・ミニマリズム的な潮流に乗るような格好になるのが癪だからであると思う。個人的な原点回帰も、同時代の問題と重なれば積極的なスタンスになってしまう。
20250517 日記
頭痛の処方薬が切れたので病院へ行った。家から歩いて30分くらいの場所にある、小さな脳神経外科である。午前は間に合わなかったので初めて午後に受付したが、老人で混雑していた過去の記憶と異なり、落ち着いた雰囲気だった。気難しそうな外見をしている院長は、意外と気さくに無駄話をしてくれる。
春から夏にかけて光が強くなるからねえ。たしかに、自然光に目が眩み、そのまま症状が表れることもあったような気がする。ただ、天気の急変にやられている感覚のほうが強い。今はいい薬があるけれど、昔は富山のケロリンとか、ノーシンとか。紙ふうせんが貰えるから嬉しかったんだよ。
薬の量が10回分から20回分に増えた。前回の受診のとき、これが上限だと言われた覚えがあり、なぜ急に倍量の処方が可能になったのかは定かでない。今日が半年ぶりだったから、次回は概算すれば一年後になる。心配事が減るのはありがたいが、そのあいだ院長の昔話が聞けないのは少し惜しい気もする。あるいはその頃、私はこの場所に住んでいるだろうか。
20250510 日記
府中市美術館のことを初めて認識したのは大学の講義中だったと思う。好感を持っていた先生が、国内の優れた美術館として横須賀美術館と一緒に名前を挙げていた記憶がある。その時期は諏訪敦「眼窩裏の火事」が開催されていて、キャンパスの敷地内に告知の看板も立てられていたが、見に行くことはなかった。
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正午すぎに府中駅で降り、ひとまず喫茶店「シャガァル」を目指したものの、蔦で覆われた建物の入り口はシャッターが下りていた。閉業したのかと思ったが、シャッターに張り紙はなく、インターネットには昨年の秋ごろに来店したひとの投稿も見られた。不定の休業日に運悪く当たったらしい。代わりに、近くの「コパデカフェ」でコーヒーを飲み、ホットサンドを食べた。シャガァルに後ろ髪を引かれてはいたが、こちらもいい雰囲気の店だった。調べたところ、1979年の創業だという。同じ場所で時間を重ねている店には、それだけを理由にして訪れる価値があるのだと最近は思う。
美術館へと向かう道中には公園がいくつもあった。駅から離れるにつれて商業施設が減り、住宅が増えていく。珍しくない郊外の街並みだが、この頃はコピー&ペーストを繰り返したような建物が延々と並んでいる奇妙な街から、歩いても歩いてもひとの気配や思惑から逃れられない東京の中心地へと働きに出る生活をしているから、その平凡さに安心感を覚えた。目的の美術館も、大きな公園のなかにあった。丘の上に白い凧が揚がっていたが、糸を持つひとの姿は見えなかった。
小西真奈の個展「Wherever」は、明度の高い色とラフな筆致が特徴的な20年代の作品から、鉛筆によるドローイングの小品を挟んで、キャリア初期の大作へと遡る展示だった。その順番は、対象に興味を持ったあと分析のために辿りたい道筋と一致しており、流れに沿って鑑賞すれば、必然的にひとりの作家の試みを知れた。
西東京の郊外の風景が描かれた近年の作品群を、同じエリアの展示会場で観る。微笑ましいモチーフの選択や、作家の運動を感じられる筆遣いにロケーションの符合も重なって親しみを覚える。しかしその感覚は、強く自立した初期の作品を観ることで宙吊りになる。
衣服の色が、自然との距離を測っているように見えた。〈冬の水〉の手前で湖を覗く、水と同じ色のジャケットを着た人物と、それを遠くで眺める黄緑色のアウターを着た人物。〈キンカザン1〉の開放的な画面でピンクのTシャツを着ていた人物は、幽玄な空気が漂う〈キンカザン2〉では白い羽織を纏い、霧っぽい山の中の奥を見詰めている。精緻な風景画だが、彼岸の気配を感じられるのが好みだった。
常設展を観たあと、図書室を覗いてから建物を出た。常設では宇佐美圭司の〈円錐形の内に居ますか、円錐形の内にいます〉が特に面白く、ベンチに座ってぼんやり眺めていた。単純に脚が疲れていたのもある。人間の心身は、いちにちに何百もの美術作品を観るようにはできていないと大きな展示へ行くたびに思う。けれど、その疲労感も休日らしい。日中よりも一段と冷えた夕方の街を歩き、寿司を食べて帰った。
シネフィル以外お呼びでないようなタイトルだが、原題は『Spectateurs!』だという。映画という形式に強い思い入れがなくても疎外感を覚えなかったのは、この作品を劇場で観ている時点で「観客」であることは確約されていたからだと思う。ジャンルの横断と時系列の縦断を、無数の引用の推進力を借りてしているのが好みだった。
ポスターには、本編で触れられている名作のタイトルが列挙されている。この手のリストは航海図を得たような気持ちになれる。今年は多く劇場に足を運んでみたいと思っていたが、その気持ちが後押しされるような内容で幸先がよかった。
ホームページを作成しました。日記のような文章を載せたり、制作物をまとめたりする予定です。
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ほとんど同じデザインのサイトを2020年の11月から2022年の12月まで動かしていたが、そちらはサーバーの更新料の払い忘れという情けない理由から停止していた。すぐに支払いを再開すれば復旧させられたのだが、いろいろ忙しくなる時期と重なったこともあり、ずっと後回しになっていた。言い換えれば、最近は少し生活が落ち着いたように思える。
サイトの改修にあたって過去の文章をいくつか読み返していると、2021年の末の日記が目に留まった。「どうぶつの森」と「瓶詰地獄」と「リグレットメッセージ」を通して、投瓶通信に思いを馳せた内容である。
手紙は必ず宛先に届く、と言ってみたときに気がつくのは、手紙の最初の受け取り手が自分自身であるということだ。メモ書きや備忘録ではない、見知らぬ誰かに宛てた言葉だからこそ、見知らぬ自分のもとに還ってくる。地獄も、悲劇も、自分の言葉のなかに見つけることで対象化され、一定の距離が生まれる。そしてそのあとに、本来の意味での見知らぬ誰かが——たとえ順序を取り違えられ、無関心のうちに捨てられ、齟齬のなかで読み違えられるような可能性ばかりだったとしても——矛先を持たない言葉を、手のひらから受け止めてくれるかもしれないという、微かな希望が残る。
ことの始めに語る言葉が多くの場合あとあと自分を苦しめることは承知しているけれど、私が多少の対価を支払いながらもインターネットのなかに自分の領域を作り、そこへ文章を置くことに拘っている理由は、今も変わっていない。手紙を詰めた瓶を放るのにうってつけの場所を新たな名前に冠していることに気づいたのは、改修も終わりに差し掛かったころだった。ただ淡々と繰り返し、蓄積することに意味があると信じている。それが自分にはいちばん難しいことだから、ずっと夢を見ているのかもしれない。
20250205 告知